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【読書】何者 / 朝井リョウ

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 人は誰でも、理想とする「何者」かになろうとしている。日々、その理想とする人物像になりきろうと行動しているわけだ。

人は誰でも、自分と言う人間を世間や周囲に良く見せたい。もしくは、目にとめてもらいたい。行動の裏には必ずこう言う思いがある。

先日、朝井リョウ氏が書かれた何者という小説を読んだ。直木賞もとっているらしい。桐嶋、部活辞めるってよを書いた人で映画化にもなっている。

nanimono-movie.com

この小説の舞台は「就職活動」。ほとんどの人は若い時に経験する恒例行事だと思う。

大学生数人を中心に物語は流れていく。読み進めるうちに自分自身と対比し、痛いところを突かれたなと言う気分になった。

今回は久々の読書感想を書いてみようと思う。

あらすじ

 就職活動を目の前にした主人公の拓人。彼はバンドサークルに入っている友人の光太郎と二人暮らしのシェアをしている。物語は光太郎の卒業ライブから始まる。

大学生活を楽しんだ彼らに待っているのは社会人になるための就職活動。

あることがきっかけで、光太郎の元カノの端月、端月の友人の里香、里香の彼氏の隆良の5人で就活を協力し合うようになる。

それぞれの思いが交差する中、就活は進んでいく。

やがて、各々内定がでたり、不採用がでたりと5人の人間関係が思いもよらぬ方向へといく。

大学生と言う子供と大人の間にいる彼らに直面する社会に対する媚や反抗心。

理想、現実、憧れ、嫉妬、妬み。

今の若者のほとんどが触れているSNS(Twitter)を焦点に物語は展開されていく。

現代を巧みに再現した、リアルな就活事情を描いた青春物語である。

 

読後の感想

  簡単なあらすじは以上。内容は是非見て欲しい。

読後の感想はと言うと、人は生涯何かを演じながら生きて行くものなのか?としみじみ感じた。

当書をなぞらえて言うとこうだ。

  1. 海外留学やボランティア、〇〇の部長などと自分を装飾しないと立っていられない人
  2. 枠にはめられることが恰好悪いと思い、周りと自分は違うとアピールをしたい人
  3. 自分は常に俯瞰で物事を分析しているという大人ぶる人

このように、人は世間の目を取り繕いながら生きているのではないだろうか。

SNSが発達し簡単に自己発信できる今の世の中だからこそ強く思う。

私は、二番目の就活なんてダサいし、みんな同じ恰好して同じことを言って、自分を包み隠すなんて恥ずかしい。と思っていたタイプだ。

不採用通知を見ながら「別に志望度高くないし」とひねくれていたぐらいだ。本当は悔しいのに。だから就活はほとんどしていない。バイトを仕事と言っていた。

ただ現在、社内の新卒と中途の採用を行う人事にいるので人生何があるかわからない。不思議なものだ。

だからまさに、以上のような学生達に日々直面するわけなのだが、ES・履歴書・面接とやればやるほど以上のようなタイプが出てくる。「私は海外留学に、、、、ボランティアで、、、、そこで経験した、、、」

学生であれ社会人であれ、自分は周りと違うと魅せる「自己主張」を生涯して行く運命なのであろうか。

自分は〇〇キャラ?

 私は、人はみな自分の理想とするキャラ(人物像)になろうとしているのではないかと思っている。SNSが顕著な例だ。 

SNSの自分を自己紹介する欄で、「仕事 / 服 / 音楽 / 煙草 / アート」と単語を区切りながら羅列するのをよく見る。

言葉を並べてセンスを出そうとする。自分は周りとは違う軸で生きている。とでも言いたいのか。言葉で自分を装飾しているように思う。

  • 自分は周りに恵まれていると書き、ホームパーティーの写真を載せる
  • 意味深な言葉を書き、おしゃれに加工された白黒やセピアの写真を載せる
  • 恵比寿のなんとかのBARで、などと自分の居場所を明記する
  • その界隈で有名な人を、〇〇さんと呼び知り合い感をだす

少し悪意を持って書いてみたが、別に悪いことではないと思う。

先述したが、人は理想とする人物像に近づこうとする。

一歩ずつ自分を確かめながら周りに発信しているのではないだろうか。

かくいう私も、インスタグラムに食べた料理の写真ばかりを載せる。

おいしい店を知っている、ラーメン好き、グルメなどと言うキャラになりたいのかもしれない。

「自分は〇〇」は組み込まれた行動様式 

 世の中は競争社会だ。これは仕事をする大人も、勉強をする子供もすべてにおいて言える。

常に何かと競い合い自分の個性を出さなければ評価はされない。

そう考えると自己主張することは何ら変なことではない。

  • 自分はむちゃくちゃ頑張っているアピール
  • ツライしんどい吐いた血出たと可哀そうアピール
  • いろんな人と撮った写真を載せて自分凄いアピール
  • アニメ・音楽・サブカルなどと突出しているアピール

見ていて痛々しいが、これも自己主張の一つで人が生まれ持っている欲の一つなのかもしれない。

一方で、傍観者のような立ち振る舞いや、自分は自己主張をしないというのも、キャラであり自分はあんなん痛々しくてできない恥ずかしいと思う個性である。

このように、全てにおいて自分と言うキャラを演じるために、日々何かしらの個性を出そうとしているのだと思う。SNSはそれが簡単にできる一手段である。

「〇〇好き」は見方を変えると「〇〇キャラ」となる。

人それぞれ趣味があると思う。趣味と言うのは、その対象が好きで趣味となるものではあるが、それを趣味にしている自分は他とは違うという思いから趣味となるケースもある。

自分というキャラ、印象、個性を形造るために、人間は日々生活の中で行動の取捨選択をしているのであろうか。

個性を出すという行動が、人類の行動様式と考えると、今のこの私のブログも理想である何者かに近づくための手段なのかもしれない。

興味がある人は是非、一読してみて欲しい。