kaaaaawaのブログ

はたしてこれはブログなのか?

たまには募金活動について真剣に考えてみることにしよう

f:id:kaaaaawa1:20150619001951j:plain

 募金活動を否定するわけではないが、生産性の面でみると「募金って効率悪いんじゃないか」と思ってしまう。

時給1,000円のバイトがあったとした場合、8時間働いたとして一日8,000円の稼ぎになる。

なので募金活動一時間あたりで1,000円を稼げるのかが、バイトか募金活動どっちが効率が良いかのボーダラインとなる。

では実際、どれくらいの回転率を出せばいいのだろうか?

募金は効率がいいのか?

 例えば駅前にて5人で募金活動をしているとする。

  • 募金箱2人
  • 垂れ幕(もしくはPOP)2人
  • チラシ配り1人

仮に、募金に協力をする人たちの平均単価を100円と設定した場合、一時間に10人に入れてもらわないとダメだということになる。

果たして、一時間に10人もの人に募金箱に100円を入れてもらえるのだろうか?

募金活動を見ている体感だが、10分やって1人あるかないかぐらいだと思う。なので、一時間で5、6人程度が妥当な人数。

5、6人だと単価を200円にして、やっとトントンになる。ただ、ここで問題。

募金活動する際には、一つの活動場所に1人じゃないということ。

少なくても4、5人は居ると思う。つまり、一時間に5,000円稼がないと成り立たない計算になる。

先ほどと同じように、一時間あたり10人に募金をしてもらうと仮定すると、単価を500円に設定する必要がある。5分でみると0.8人ペース。

「5分間で約1人に500円ペースで集める」どうだろうか?かなりの集客力とトーク力がないとできないのではないか。

たまに、1,000円や10,000円を入れてくれるかもしれないが、それは不確定要素が強くギャンブルと同じ。なのでこの考えは正確ではない。

1人あたり500円というのもまだ高めに設定しているくらい。1円、10円の人もいるわけだから妥当であろう。 

計算してみよう

 5人で8時間の募金活動をしたと考えた場合、一日40,000円(一時間あたり5,000円)を集金しないといけない(時給1,000円のバイトがあると仮定) 。

単価100円の場合

1時間あたり50人

30分あたり25人

15分あたり12.5人

5分あたり4.1人

5分で4人に100円は無謀だ。

単価500円の場合

1時間あたり10人

30分あたり5人

15分あたり2.5人

5分あたり0.8人

5分に約1人はまあ無くはないが、8時間も同じペースを持続できるとは思えない。

バイトを一ヶ月やったほうが稼げる

 結論、バイトのほうが確実に稼ぐことができる。もし、募金活動をするならば、人手をかけずにお金を集めることが定石になる。

いかに少人数でインパクトのある演出と持続性のあるスキームが作れるかが重要となる。

また、実施する場所、時間、人員配置を的確に設定すれば、かなりの集金が見込めると思う。

それと、社会的なムードも重要。国家レベルの緊急事態であった東日本大震災の時は、平均単価がグンと上がったはずだ。

一日単位でみるならば、募金もバイトなみに(もしくは以上に)集金は可能かもしれない。しかし、一カ月でみるとどうだろうか?そこに確実性はないし、同じ場所・同じやり方であれば難しい。

バイトをしながら、バイト先にセルフ募金箱設置させてもらうのが効率いいのでは? 

募金協力をためらう理由

 街頭で見かける募金活動。これに協力しようかどうか迷った経験がある方は多いのではないか。

でも何故、募金協力に対し難色を示してしまうのか。

それは、費用対効果を実感できないからだと思う。

募金したお金がどう使われ、結果どのような効果が出たのかが、不透明すぎる。300円する缶ビールを躊躇無く買えるのは、缶ビールの美味さをすぐ実感できるからで、何に役立つかわからないネジを300円で買う人は少ないはずだ。

その点、募金は実感がないままなので「気持ちはわかるんだけど」とか「また、同じような募金やってる」とか考えてしまうのではないか? 実際、集金された金がどう使われているのか実態を知っている方は少ないだろう。

この費用対効果の不透明さが躊躇してしまう一番の理由ではないか。

募金とは自己を満たすもの?

 慈善活動を悪くいう訳ではないが、「慈善活動に従事している」という気持ちの部分が少なからずあるはず。言い方をかえると自己満足。

大学時代の何も考えてなかった頃を思い出すと、SNSに「募金やってたよー!みんな協力しようよー!」などと呼びかけていた。よくよく考えると拡散した自分に対する自己満以外のなにものでもない。

募金を集める人も、募金に協力する人も、その行動に満足している感は少なからずあるはず。

  • 自分が一日働いて稼いだお金
  • 募金活動を通じて集金したお金 

 この二つが同額であったとした場合、感じ方が違うはず。

つまり、募金活動をしている人の中には、慈善活動に従事している自分という存在を感じている人が居るということ。

まとめ

 募金をするアルバイトが存在するらしい。時給1,000円で集金をした中から支払われるそうだ。給料を払っても残金がでる。これを考えると、先述した計算よりもっと募金は儲かるということなのか。

  • 1人で何千円と募金する人が平均単価を押し上げている?
  • 業務フローや人員の配置が適切だから?
  • 時間あたりの集客が上記より多いから?

海外での移植手術とかで何億と集金した事例もあるようなので、不可能ではないのかもしれない。

こんなことを言うと不道徳かもしれないが、人の心を動かしやすいテーマが重要だと感じる。

今回、書いた記事は募金活動を批判的な目でみた内容だが、本当に苦しんでいる人が居るのも事実。

億単位の額が必要な場合もあると思う。「少額の負担を多くの人に」というシステムは理にかなっている。しかし、これを悪用している人達が居ることも事実として忘れてはいけない。

うさんくさい募金活動とか、1年前から同じ募金をしている集団など見かける。

「少額なのでこれぐらいはいいか」といって募金をしてしまうのは人間の心理であり欲でもあると思う。

しっかりとした判断基準を持つことが重要である。

 補足

 最後に良いことも言っておくと、募金活動は集金だけが目的ではなくて、「実際にこういう実態がある」とPRも含まれている。

募金に協力こそはしなかったが、スマホで病気について調べたことはある。逆に、あの場で募金活動を見ていなかったら、確実にその病気について調べていなかった。

「人が動けば、人は動かせる」と私は思う。Webショップと実店舗では、ショールミング化が進んでると聞く。ですが、人が言葉を通して説明するという課程で、Webとの差別化は必ずできる。今後「人から人」という流れはなくなることは無いのであろう。

相手を動かすことができる、そんな人間になりたいものだ。