お金はあくまで交換の手段にすぎない
生活するうえで欠かせない買い物。この買い物の関係を考えたことはあるだろうか?
客はお金を渡して、モノ(商品、食べ物、サービス)を受け取る。
これって言わば「物々交換」の関係。 XとYの交換と言える。
以前にこんな記事を書いた。リライトしたついでにリンクしておく。
今回はそんな「交換」と「お金」にまつわる話を考えてみたい。
- 交換てどういうことをいうのか?
- お金って一体なんなのか?
交換するには同じ価値で
物々交換は、今のお金と商品(サービス)の関係のもとになっている。
例えば以下の二人が居たとする。
- 漁師のサカナさん
- 猟師のオニクさん
それぞれ、得意な分野の仕事をしている。
ある日、漁から帰ったサカナさんはこう思った。
「魚が大量に釣れたけど、魚ばっかであきたし肉食いたいな誰か肉持ってて、魚食いたい気分の人居ないかな?」
そこで偶然、オニクさんが「魚食いたいです、肉と交換希望」というプラカードを持って道に立っていた。
双方の需要と供給が偶然合い、お腹いっぱいになった。つまらない物語なのはさておき。
物々交換はこのように「需要と供給」の関係性で成り立つ。
- 魚持ってて、肉欲しい
- 肉持ってて、魚欲しい
この上の関係と下の関係は同じである。
- お金持ってて、飯作って欲しい
- 飯作るから、お金欲しい
ここで気付いた人もいると思う。「魚と肉」「お金と飯」見た目も、得る手法も違う物同士がなぜ交換できるのか?
これは、お互いの「その物の価値」を目安に交換をしているから。
その物の価値とはいったい何か?
魚をとった労働力(体力、時間、技術力)の量のこと。
つまり、魚を手に入れた時にかけた労働力が、その魚の実質価値になるわけだ。
- 「魚3匹取った労働力と、肉600gを取った労働力は同じだから交換しよう」
- 「800円を得た労働力と、からあげ定食を提供する労働力は同じだから交換しよう」
こうなる。 式にすれば「X = Y 」。
重要なのは上記の式のとおり、このやり取りは全て「等価交換」であるという点。
魚を手に入れた労働力と、肉を手に入れた労働力が、同じであるときに交換関係が生まれる。
交換する時に損をして交換する人はいない。
そこには、必ず同じくらいの価値があるから交換しようと考える。
- 需要と供給がマッチしたとき
- 等価交換でないと成立しない
なので交換をする時にはこの二つが欠かせないということである。
お金は交換の手段である
続いては貨幣について。
物々交換は非常に理にかなったシステムではあった。
しかし、お互いに需要と供給が合わなければ成立しないし、確率的にいくと対象者と出会うチャンスは単順に言って少ない。
しかも、肉や魚には賞味期限があるので、すぐに交換しないと腐敗していく。
ここで、登場したのが保存が効いて、なおかつみんなが欲しいと思う物。
それが、「布、貝、イネ、塩」などであった。当時これらは非常に価値があった物らしい。
布に交換しておくと、みんな欲しがるので供給には困らないし、長期的な保存も効く。
なので、釣った魚をまず布などに交換するようになった。ちなみに、貨幣の「幣」という字は布という意味らしい。
ここに、貨幣のルーツがある。お金とは言葉のとおり「金」からきている。
金は、溶かせば変形しいろんな使い勝手がある。その汎用性の高さが好まれ、みんなが欲しがるようになっていった。
「釣った魚は腐るから取りあえず金に交換しておいて、いつでも欲しいものと交換できるようにしよう」こう言うことだ。
「魚→お金→肉」の関係と「仕事の労働→お金→肉」は全く同じこと。私たち会社に属する人間は自分の労働力を会社に売って対価として給料を貰っているにすぎない。
- お金の前提は「価値の交換」にある
- お金とは、物々交換を省略する手段にすぎない
お金とは世の中にあるモノとの交換券みたいなものにすぎないのである。
ちなみに、なぜ今の世の中でただの紙が価値あるようになっているかというと、兌換紙幣の名残があるからなのだが、長くなるので今回は割愛しておく。
まとめ
- 交換とは需要と供給で成り立つ
- 等価交換が隠れたルール
- お金は物を交換する物でしかない
- 価値とはそれに費やした労働力のこと
- 魚3匹=実働1時間=800円は同じ価値
まとめるとこんなとこだろうか。
お金とはあくまで交換の手段である。
私たちは少しでも高く自分の労働力(スキル)を会社に売って給料を得ようとする。
お金を貰っているから働いているのではないと言うことを忘れてはいけない。
たまに給料が低いからやる気が出ないと言う人がいるが、やる気がないから対価が低いのは当然だろと思う。
この交換とお金の関係性を理解し、仕事に役立てていきたいものだ。