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「もう会社辞めます…」退職理由甘すぎないか?

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 新卒で入社をし、もう気づけば会社の中堅クラスになってしまった。大学時代の思い出が懐かしい。
こう長く同じ企業に在籍していると、「居なくなる」人を見届けることが多々ある。つまりは退職。
退職していく人は不満を、時には希望を抱きながら辞めていく。残る者としては幾分悲しいものだ。
以前から思っていたことなのだが、会社を辞めていく人の退職理由に甘さを感じてしまう。
同じ会社に居続けることが正しいわけではない。ジョブローテーションで得られるものはたくさんあると思う。
が、何か考えさせられるものがある。
 「会社を辞めてやる!!!!」は誰しもが思うことだろう。かく言う私ももちろんある。
人は欲深いもの。ある一定の水準を達成すれば、必ず新しい欲が出てくる。働きやすい環境、給料が良い、自分がやりたい職業、と言って転職しても、何かが物足りなくなる。
そういう点では、人は欲の探求に希望を求め、それに向かわなければ生活できないのかもしれない。

となりの芝生は青い        

 世の中にある会社の数を知っているか?
日本国内で言えば、約400万社存在する。これは個人事業も含んだ数なので、純粋に法人企業だけで言えば、260万社ほどになる。で、内上場しているのが約3500社となる。
世界全体のマクロで見ればどうなのだろうか。一秒ごとに変化するだろうから把握は難しそう。データあるのか?
転職先を日本の法人に絞ったとして、260万社ある中で自分に100%合致する会社はあるのであろうか?
私は存在しないと思う。
転職した瞬間は満足でも、何かしら物足りない嫌な部分は必ず出てくる。
結局は隣の場所から見る芝生は良く見えるのであって、実際そこに入ってしまえばまた隣が良く見える。他人の置かれている環境をうらやましく思ってしまうのは人の欲求。性じゃないだろうか。
また、他社(他人)と比較する時には現時点で比較すると思うが、どうやってその結果を得たのか過程をよく見て比較をしないといけない。
その良い芝にするためには毎日手入れをしていたかもしれない。もしくは、泥臭い雑草むしりを早朝からしていたのかも。
比較をすることは重要なんだけど、うらやんで現環境を卑下するのはいかがなものか。
悪いところを探しているうちに、「悪く思おう」となってはいないか。ある種の劣等感を感じることで「自分は恵まれていない、だから今劣悪な環境なんだ」と言い聞かしてはいないか。
まあ、何が良いたいかと言うと、隣を意識するがあまり自分の環境の粗探しをしようとしてしまう。悪いところなんか理由をつければいくらでも出てくるし、簡単に作れてしまう。なので、隣を見てうらやんでも一緒。
「あそこの会社は○○があっていいな。ウチはないしな…」なんて考えるくらいなら、「あそこの会社は○○が良いけど、ウチは××があるしな。」と思いたい。
実際のところ難しいんだけどね。

わがまま言う前に行動をしろ

  • 給料は上げたいけど、業務量は増やしたくない
  • ○○円しか上がらないなら、それはやりたくない(役職を上げたくない)
  • 責任を負うリスクは嫌だ
  • 数字を出しているのに上がらない
 上げだしたらキリがない。不満なんてものは。
これね、わかるんだけど、まず「業務ができないのに給料が上がるわけないだろ」と思ってしまうのは私だけか。
「お金が上がったらそれやりますよ」って、目先のことしか見えてないような気がする。
「今まではこうだったのに、業務量が増え、やることが多くなっただけで給料があがらない」と聞く度に、「じゃあ、やり方を見直して能率を上げろや?だから、上がらないんでしょ?」と思う。
もちろん、限界値はあると思うけど、現環境(能力)ベースで考えるのにも程があるんじゃないか。朝やったミーティングの議事録を何時まで作ってるんだ?
自分ができないことをさせてもらってると思えないのか。タダで。
一度やって、こなして、成果を出してそれでも給料が上がらなければ意義を申し立てればいい。
私も一円でも多く稼ぎたいに決まっている。ただ、業務が増えた時に、給料が上がらなくても、先の自分の経験値として蓄えればそれでいいと思ってしまう。
経験にこそ価値があると思う。なので、先述した理由をグチグチ言う人を見ると、「とりあえずまずやってみたら?それから辞めれば?」と思ってしまう。
責任を負う、業務が増える。別にいいじゃないか。実際に経験できるのだから。
企業にもよるだろうけど、ある程度のミスなんて、怒られて謝って始末書を書けば大体は済むはず。どうせ辞める決心をしたなら、やって失敗してボロカス怒られて給料下げられてから転職をして一からやり直せばいいんじゃない?
人は失敗を極力しないよう生きる。だからこそ、失敗は貴重な体験だと思うがね。

転職ボーダーは持つべき

 比較をしても意味がない、まずは経験したほうがいい。とは言っても、「ここまで以上は…」といったボーダーラインは必要である。
業務が増えてしんどくなるのは良いことだと思うが、業務量と賃金のバランスは大切で、そこに見境がなくなってしまっては業務過多になってしまう。
ある程度の基準値を設けておかないと、負荷ばっかりになってしまい、経験しても意味が全くない。
ダメなのは、このボーダーラインが甘々になる人。自分の基準値は厳しく設定したいもんです。

「数字やってるのに」人間に言ってやりたい

 営業部には必ず居ると思う。数字をこんだけやっているのに給料が上がらない。
これは、悪い考えではない。ただ、その数字(結果)は本当に自分だけの能力の賜物なのか?
売上重視、数字至上主義の会社に属しているならいい。というか、そういう会社なら既に給料は上がっているはず。
結果を出しているのに給料が上がらないのは、成果主義をひいている会社じゃないか?
結果も大事だが、その過程も大事。(経営陣からすると便利な言葉だ)
でも私は、後者の成果主義的考えがある。
言ってしまえば、不正して誰かの協力を得て出した結果を「数字出しているのに…」と言っているやつが心底ダサいと思う。
不正とまでは言わなくても、環境が良いとか偶然とか運を自分の能力として考えるのがどうかと思う。
私の会社はインバウンド型の箱型ビジネスなので、特に環境に左右されるため強く思う。
辞書を持ち歩いているからといって、自分は博学ではないことを理解しないと。その環境、運は自分の能力の賜物ではない。
需要があって(相手が欲しいと思っている)売れている、他の人が営業をかけてくれた、などは自分じゃなくても売れたんじゃないか。と思うべき。
たまたま、その環境や出会いがあったから売れているのであって、自分じゃないAさんでもできたんじゃないか。
何が言いたいかというと、「自分でしかできなかった、成しえなかった」と誇りをもって言えないなら、数字を上げてるのにとかしょうもないこと言う前に能力磨く努力をしてくれ。
悪く思いたい時は環境のせいにし、良く思いたい時は環境は度外視。どういうことなんだ。

最後に

 怒りのままに書いてしまった。駄文で申し訳ない。
ただ、「経験ベースで先を考えて欲しい」や「良いところ悪いところはどこでもある」は辞めてくやつに伝えたい。
「もうおれはこの会社を辞める」という強い意志があるならば、あと一カ月だけ今までしたことないことをして辞めても遅くはないんじゃないか。どうせ辞めるんだから。
私の会社では賃金問題が多いので、お金にまつわる話であったが、働く理由は人それぞれでしょう。お金じゃない人もいると思う。
どんな理由であれ退職していく人に思うことは一つ。
「今までありがとうね、次でも頑張ってください」
人との別れは感慨深くなるものだ。