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時間はお金で買うことができるのでしょうか?

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 皆さん、年末年始はいかがお過ごしでしたか?「実家でゆっくりしたので早く仕事をしないといけない」「バリバリ仕事していたので羽を伸ばしたい」時間はいくらあっても足りませんね。

 以前に「時は金なり」について記事を書いてみた。その発端となったのが、カップルの会話の中。「時間、愛、命はお金では買えないよ」と彼がドヤ顔で決めていたのだけど、果たして本当にお金で買えないのでしょうか?

「いくらあっても足りない時間はお金で買えるのか、買えないのか」今回はこれを考えてみたい。

早速結論 

 結論言ってしまえば、私は「お金で買える」と思っている。厳密にいえば、「お金で買っているのと同じと言える。

時間も、愛も、命も、実際にはお店の棚に置いている訳ではない。なので、一見すると「お金では買えない」というのは間違いではない。

しかし、それらを手に入れる(最大限活用する)には「お金」を活用している。これは、「お金で買っているのと同じ」と言えるのではないでしょうか。

人の時間は平等か?

 一日は24時間しかない。個人によって25時間に伸ばすことはできない。それは絶対則的に決まっている。

研修で登壇した際によくする話がある。 

「一日は24時間です。その中で、8時間睡眠をしたとした場合、起きているのが16時間です。なので、16時間×365日と考えると5,840時間が年間使用できる時間です。みなさんは後何年仕事をしますか。例えば、後30年間だとすると、約180万時間になります。つまりみなさんはあと180万時間しかないんです。・・・」という具合に話をし、ゲームや漫画、道楽を主軸に置くライフスタイルは勿体ないよ。てな具合に。

以上のとおり時間は有限であり、全ての人に平等に存在する。睡眠時間を削って時間を捻出するという考えもできるが、削ったところで起きている時間に支障をきたすので得策ではない。

では、平等にあるということは、「お金でどうこうできない」となってしまう。確かに平等なのでそう考えてしまいがちだが、「増やす」ではなく有効活用をすると考えれば時間は平等ではなくなる。

 お金をかければ短縮できる

 例えば、仕事のアポがあり目的地まで行くとする。

  • 歩きで2時間
  • 電車で30分
  • タクシーで15分

いずれかを選択し目的地に向かったとして、歩いて2時間かかる選択肢を選ぶビジネスマンはおそらく出世できないだろう。なので、仮に電車かタクシーに乗車したと考えた場合、運賃を支払うことになる。これは「2時間/0円を30分/300円」で買っていることになる。お金で時間を有効活用していると言えるのではないか。

短時間で自動的に着くということは時間の捻出ができている。ここで、注目したいのが「早い」かつ「自動」で着くほうが運賃が高くなる点。これは、タクシーが一番運賃が高くて、その他はだんだんと安くなる点を説明できる。高速代がかかるのも頷ける。

また、「代行するもの」にも同じ考えができる。掃除、洗濯、子育て、と世の中には代行業が溢れている。以前に書いた「宿題代行業」もこの内の一つ。

掃除や子育てを実際に行おうとすると時間がかかる。当たり前だが、その間は他のことができない。しかし、お金を払って実務を「代行」してもらえば、空き時間が捻出でき他のことに時間が使える。これは、明らかに「時間を買っている」とは言えないか?

こう考えてみると、世の中にある全てのサービスは「代行業」と呼べるのではないか。

例えば、飲食店、販売店で買ってお腹を満たすという行動は、本来自分で作る際にかかる時間を短縮していると考えられる。なので、技術力がいる専門的な物は高価になる

 結論:「お金で時間は買える」

 時間は限られている。それは間違いない。だから、生活を送るうえでは、限られた時間をどれだけ有効活用できるかが重要になる。テレビや雑誌で「時間短縮術」などよくやっている。何事にも時間はかかりる。なので、本来かかるはずの時間を、お金を使って代行してもらうと言う流れが起きる。こう考えると、世の中にあるお金を使った売買(交換)というのは、時間を買っていることと言えてしまうのではないか。

時間の効率化といのは産業発展と共に進歩してきた。近年、機械が発達して「機械が人の雇用を奪う」という問題が起きていらしい。

これからAIがもっと身近になり安く提供されてくれば、我々の働く時間も効率化されお金で時間(効率)を買い取られるといったことが起こるのではないか。

次回は、「愛」と「命」はお金で買えるのか?を考えてみたいと思う。