【読書】理性の限界 / 高橋昌一郎
突然だが「集団内で行われる選択には、合理的かつ理性的に解決できる最前の術はあるのか?」これについてどう思うだろうか。
私たちは生活をするうえで「決断」を連続的にしている。
- 朝起きてまず歯を磨くのか、顔を洗うのか
- 待ち合わせ場所には何で行くのがいいのか
- 大学進学・就職はどうすればいいのか
このように、物事を行動する前に必ず選択をせまられている。
そんな中で、集団内で複数の選択肢の中から何かを決断する場面がある。そこで、個々人の意見をできるだけ反映した選択はあるのか?というのが先述した質問だ。
そんなん投票に決まっている、いや多数決でしょ、色々ご意見があるかと思う。民主主義の代表とも言える投票や多数決は果たして合理的なのだろうか?
当書は「選択」「科学」「知識」の3ジャンルごとに、「理性の限界」を考察していくという内容。正直なところ、でてきたほとんどの内容が初見であった。めちゃくちゃおもしろかった。
「選択」のテーマの中で、冒頭にあげた「合理的な選択」が説明されている。
一般人と学者達の会話形式で、架空のシンポジウムをもとに話が進んで行くので読みやすい。
このジャンルを読んだことがない人でも手軽に読めるはず。
- コンドルセのパラドックス
- 囚人のジレンマ
- ぬきうちテストのパラドックス
- スクリブンの卵
- ナイトとネイブ
全て面白かったですが、以上の話が特に頭に残っている。
今回は、選択の際に生じる「コンドルセのパラドックス」を紹介しようと思う。
合理的かつ理性的に解決できる術はあるのか?
私たちは生活する中で、選択の連続で生きている。
朝起きてから何をするのか、昼飯はラーメンか定食かカレーか、選挙で誰に投票するのか、人は常に選択を迫られているといっても過言ではない。
ここで疑問視できるのが「これらを理性的に決定できるのか」ということ。
では、当書で出てきた話を紹介しよう。
女子大生のエピソードをもとに話が進んで行く。
3人の大学生が、卒業旅行の行き先を決める際に、各人行きたい場所をあげ「多数決の勝ち抜き方式」で決めることにした。
だが、この方法は100%公平性のある投票方式ではない。ある選考順位の組み合わせになるとパラドックスが生まれてしまうというのだ。
仮に3人の行きたい旅行先順が以下になったとする。
例えば始めに「ニューヨーク VS ウィーン」のどっちが行きたいかを多数決したとする。A子とC子が手をあげニューヨークが2票で選ばれる。
そして、勝ったニューヨークと残りのパリで「ニューヨーク VS パリ」をすれば、B子とC子が手をあげパリが2票で選ばれる。
これで行き先がパリに決定するのだが、仮に「パリ VS ウィーン」をした場合、A子とB子が手をあげウィーンが2票で勝ってしまう。
つまり、第2戦目に控えている行き先が勝ってしまうということ。
これがコンドルセのパラドックスいわれるものである。
- ニューヨーク=X
- ウィーン=Y
- パリ=Z
仮に行き先を「X、Y、Z」だとすると、A子の選考順位は「XをYより好み、YをZより好み、XをZより好む」となる。この性質を「選考の推移律」と呼ぶ。
ただ、個人において成立する選考の推移律が、集団では成立しなくなる場合がある。
これが、先述した事例の「XをYより好み、YをZより好み、Zをより好む」ということ。いわば、じゃんけんみたいな関係性。
このように投票を行う順番によって結果が変化するというのは、はたして理性的な決断といえるのだろうか。
当書では他に「単記投票方式」や「上位二者決戦投票方式」など複数の投票方式をテーマに合理的な選択を説明している。かなりおもしろい。
採用する投票方式によってみごとに結果が異なる。また、作中にて「アローの不可能性定理」を説明されていたのだが、以前読んだ書籍に書かれていた内容よりわかりやすかったので記載しておく。
アローの不可能性定理
まず、個人の選考を合理的にするためには二つの条件を満たすことが必要となる。
また、民主主義社会に必要不可欠な四つの条件もある。
すべての条件は民主主義社会においてどれも欠くことのできない条件である。
ただ、アローは上記の条件を満たすことはできないと言う。
個人が二つの条件を満たし、社会が四つの条件を満たす「完全民主主義」には、論理的矛盾が生じる。
アローの不可能性定理はそれほど有名なものではないらしいが、めちゃくちゃおもしろい。私たちが普段おこなっている選挙も完全な民主主義ではないということだ。
まとめ
以前に読んだ「群れはなぜ同じ方向を目指すのか?」にアローの不可能性定理とコンドルセのパラドックスが軽く出てきたのだが、それよりももっと詳しく説明されていた。
世の中では物事を投票で決めることが多いと思う。
先述したとおり、私たちの身近なところに「選択の穴」が存在する。このことをよく理解しておく必要がある。
また、投票をする際には戦略的な操作が可能となる。なんでもかんでも投票に依存する決め方は、完全な民主主義のシステムではないということも忘れてはいけない。
集団の社会的選択を理性的に行うのは難しいということだ。
他にも、「囚人のジレンマ」や「ナイトとネイブ」なども非常におもしろい内容なので、またまとめてみたい。
「私は嘘つきだ」という人は、正直者か?嘘つきか?みなさんはどちらだと思う?