日本人には本音と建前が存在する
日本は、画一的な社会である。人種、言語、宗教どれをとっても同じで多様性がない(もしくは、限りなく同一である)。
海外を見てみれば、社会全体が多様化しているように感じる。一国の中でも、人種が違えば、言語も違う、宗教的概念も違う。
だからこそ、「自分の意見」「人生観」をしっかり持っているのではないか?
社会には、どこか世の中の常識とか暗黙の了解がある。
どの国にも存在はしていると思うが、日本は強すぎる傾向にあるのではないか?
海外では、「意見を言わない人は、意見を持っていない」と思われると聞いたことがある。
私も含め、日本人は言いたい事を言えない人種だと思う。本音と建前はどの国にもあるかと思うが、日本は特に色濃く存在していると感じる。
「断りたくても、断れない」 みなさんも、そんな経験をしたことがあるでしょう。
集団規律を重んじる日本
質問すると、「なんでもいい」「別に」「特にない」とどっちつかずの返答をよく耳にする。
自分の意見を言わない(言えない)人がいる。これは、画一的な日本の風潮がそうさせてしまっているのはないか?と思う。
- 独自の意見は集団形成をする上で疎ましく思う
- 足なみをそろえることを望まれる
上手く言葉にできないが、日本という国はこの二点の空気が存在するのは間違いない。
もちろん、ある程度の集団・規律は必要ではあるが、それは大枠の部分にこそ必要で、個人間や少数(友達、学校、職場、町内)にまでくると、「言いたいことが言えない」人が量産されるのではないか?
自分が思った意見を、思った通りに表現できる、そんな世の中になって欲しいし
「自己主張ができる人間になりたい」とそう思う。
海外文化は必要ですよ
近年、グローバル化が進んでいる。国だけではなく、個人が自覚、関心をもっと持たなないといけない。
日本人は、他国の文化や風土に対し、排他的に構えてしまっているよう感じる。
退けていても何も生まれないし、受け入れることで見えてくるものがある。受け入れることで、問題点なんて山ほどでてくるだろう。(電車でのマナーやタトゥーなど)
しかし、問題とは良い刺激である。結果がどうあれ、問題に取り組むプロセスこそが、人(モノ、文化)を成長させるキッカケになる。
- 自己主張ができる人間
- 多角的な視野を持てる人間
- 人生観豊かな人間
本音と建前の国、ニッポン
日清のCMで見たことがあるかと思う。先にも述べました
私も含め、日本人は言いたい事を言えない人種だと思っています
本音と建前はどの国にもあるかと思うが、日本は特に色濃く存在していると感じる
本音と建前は、言い換えれば、感性と理性だ。
- 本音≒感性
- 建前≒理性
どちらも持つことが必要で、それぞれ同時に働いているからこそ、我々という人間が成り立っているのではないか。
意思決定のときを考えると分かりやすい。
「物事を決断する場面では、ブレーキとアクセルを同時に踏んでる状態にある」
つまり、「感性」と「理性」を同時に踏んでいる状態にあるということです。
理性が弱まれば、感性が作用し、感情・直感的に行動をする。逆に、感性が弱まれば、理性が作用し、冷静な行動をする。
感性より理性のほうが良いと言うわけではない。
感性だけだとただの動物だし、理性だけだとただのロボットになってしまう。
これと同じで、本音だけではただ疎まれるでしょうし、建前だけでは人はついてこない。
「本音」と「建前」のどちらも持ちながら、個人の意見を持つ意識が必要である。
意見を持つことで衝突が起こるかもしれない。ただ、建前だけの付き合いが続くくらいなら壊れてしまったほうが良いと考えるのは私だけか。