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【読書】ヤンキー化する日本 / 斉藤環

アート
 朝日新聞の紹介で「ヤンキー化する日本」が紹介されており、ヤンキー化のフレーズに興味を持ったので読んでみた。

構成は前後半にわかれており、前半が著者の本論に対するまとめになっていて、後半は「ヤンキー」をキーワードに美術家、作家、建築家、キャスター、元ホストなどとの対談になっている。

著者がいう「ヤンキー」はとても広義で使われており、いわゆる反社会的な非行・暴力集団に収まらない。

もっとも、現在その非行少年自体が減少している傾向にありながら、日本全体としてヤンキー化は増している。

日本古来の思想や風習がそうさせているといっても過言ではないとのこと。

ではヤンキーの定義は何なのか。キーワードをあげるならこうだ。

  1. 気合いと根性主義
  2. 反知性主義=論理よりハート
  3. ヒエラルキー重視、地元愛、ムラ社会的
  4. アゲアゲなノリ
  5. 派手な装飾=良い意味でダサい

著者は、オタクは生産し、ヤンキーは販売する関係性あると言いう。また、マクロ視点で考えるとヤンキーに見られる「気合い、バッドセンス、アゲアゲなノリ」な風潮が経済の機能を支えているとも言う。

今、日本で爆発的にブームになる条件は何か?と考えた時、どこかしら「気合い、バッドセンス、アゲアゲなノリ」のヤンキー的要素が入っているのは確かである。

「頑張る」は失敗することをにおわしている

 後半部分の対談の中で一つ興味をもった内容があった。

気合いを入れるために「頑張れ」と激励を送る。これは日本人らしいエートスであり、奇妙な表現であるのではないか?

気軽に使用している「頑張れ」は、外国からすれば何を言っているんだこの人?と思われてもおかしくないそう。

「頑張る」の言葉の中には失敗を前提とした考え方があり、精一杯やれるだけやります!みたいな言い訳ベースの考え方になる。

物事を失敗前提で取り組むなんて、第三者からすれば苦笑いもでてしまうものだ。

そう考えると「頑張れよ!」「はい、頑張ります!」といったやりとりは茶番でしかないのかもしれない。

日本の気合い主義が日常会話の「頑張れ」に現れてるにだなとつくづく思う。(大和魂があれば屈強を乗り越えられる的な)

作中に「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」が頻出していたので、さっそく購入してみたい。