できない人には特徴がある!気をつけたい2つのこと
仕事をするうえで最も大切と言っても過言ではない「伝える力」。最近ふと思うのだが、伝える能力が退化しているよう感じる。
部下からの報告や、かかってくる営業電話を聞く度に、わかりやすく話してくれないかとつくづく思う。
世の中は便利になった。むしろ、便利になりすぎている。
便利な物、ツール、仕組み、サービスなどが出てくればくるほど、あらゆる能力が退化していくのではないか?
便利すぎるのも良くない。
できない人は「能力」か「モチベ」がない
社会人になって「できる人、できない人」が顕著に表れるようになると思う。
集団行動主体の学生から、個人の手腕が試されるようになるわけだ。
そんな中で「できない人」に部類される人にはある一定の欠陥がある。
- 能力
- モチベーション
決まってどちらかが欠けていることが非常に多い。
仕事と言うのは成果を出すことを求められる。日々、何かしらの成果を出すことが仕事をするうえでの存在意義である。(売上げを出す以外にも勿論当てはまる)
そこで考えたいのが成果を出すまでの方程式。
「成果 = 能力 × モチベーション」
能力があってもやる気がなければダメ。やる気は十分でも能力が無ければ話にならない。
この二つが高ければ高いほど最高の成果が出るようになるわけだ。
気をつけたい2つのこと
便利な世の中になることは喜ばしいことである。しかし、便利になればなるほど「できない人」が量産されていく。
というのも、できない人は「システム化 × 思考停止」に当てはまることが多い。
辞書が発明されそれがスマホできるようになったお陰で、漢字の読み書き能力が明らかに低下している。
他にも今の現代には便利がゆえにマイナスに作用している物はたくさん存在する。
このシステム(便利なモノ)を使用することによって、自ら考えなくなる思考停止状態となる。
システムが構築されているがゆえに、依存して考えなくなってはあらゆる能力が衰えていくのはないか?と言うことである。
- 便利なモノに依存
- 当たり前になり何も考えない
この2に気をつけて生活をすることは非常に大切。
便利な物には便りすぎないは良くないってこと。
メール(LINE)ってむちゃくちゃ便利
現代のツールの代表格であるメールでもう少し考えてみたい。
手紙に比べよりタイムリーに意思交換をできるメールはかなり便利なツールである。
なにが便利って、絵文字やスタンプで心情を簡単に表現ができてしまう。
言葉を出さずして相手に伝えることができるなんて、これほど楽なコミュニケーションツールはない。
メール(LINE)の特徴は大きくわけて三点ある。
- レスポンスが早い
- 文章変換機能が便利
- 絵文字などのツールが豊富
特に目をひくのはレスポンスの早さ。
文章でのやりとりの中で、最もリアルタイムなコミュニケーションツールと言える。このお陰で業務効率は格段に向上した。
また、絵文字も手軽にやりとりできるメールの特徴。
絵文字をうまく活用すればそれだけで会話がなりたってしまう。
メールがなくなってしまったら非常に困る。というかパニックになる。
伝える能力の低下はメールのせい?
便利なものが溢れている環境が、伝える力をなくさせている原因ではないか。慣れからくる退化である。
さも相手と話しているように会話ができるため、深く考えずに返信をし嬉しい時は(^o^)を使用する。
手紙と違うところは、文章を構成するのではなく「言葉」でやりとりをするところ。
レスポンスがいいので、相手の心情を深く考えずに単文でのやりとりをしてしまう。(それがメールの良いところだが)
文字を打てば漢字変換されるし、絵文字・スタンプを送れば自分の気持ちを伝えれる。
この環境に慣れてしまい、そして依存してしまっているから、言いたいことを上手く伝えられない人が増えているのではないかと感じる。
今思えば中学生の時、数メートル先の相手にもメールで会話をしていた。
私は完全に携帯世代なので常に携行していたが、メールのお陰で文章力のなさを鍛えてしまっていた。
「慣れても考えろ何事も!」昔の自分に言ってやりたい。
老人ホームは退化を促進する?
以前、ガイアの夜明けで二つの老人ホームに関する放送をやっていた。
概要を書くと、相反する老人ホームの実体であった。
「スマートコミュニティー稲毛」
独り身のご年配をターゲットにしたホーム。
高層分譲マンションに隣接した場所に住民専用のクラブハウスを建設している。
クラブハウス内施設は、朝晩の食事に老舗料理屋の懐石風料理が出され、毎日開かれる習い事教室に通うことができる。
習い事は、フラダンスや和太鼓などその数は40種類ほどにもおよぶ(だった気が)。
まさに、至れり尽くせりのシニアライフ。
「夢のみずうみ村」
一方でこちらはデイサービスのホーム。
一般的な施設は手すりを付け、段差をなくすといったバリアフリーが常識であるが、この施設は「あえてバリアをアリ」にしている。
階段もあれば段差もあり、手すり等は設置せず介護士は全てやるのではなく補助をする役割。
デイサービスで利用者が通い、施設内に「ユーメ」という通貨を設けて、階段を上ったり食器を片づけたりすればユーメが貰える仕組みになっている。
そのユーメは施設内で使用する事ができ、施設内にある手作りカジノでギャンブルができる。金勘定などで認知予防ができるとか・・・。
介護なしでは立ち上がることもできなかった方が、歩けるようになるまで回復した例もある等、介護というよりリハビリに近いものを感じる。
まとめ
この放送を見て思ったのが、「慣れ=退化」なんだなと言うこと。
先述した「夢のみずうみ村」では、入ってきた頃の身体レベルが回復し要介護度が軽くなっていた。
来た時より回復していたのには驚いた。
ちなみに要介護度とは、社会保障のひとつである介護保険に関するもので、介護を必要とする程度を7つの区分にわけたものを言う。
要介護度の区分により支給限度額が決められていて、支給限度額内であれば1割の自己負担でサービスが利用できる。
つまり、施設側からすれば利用者の要介護度が高ければ利益になる。
利用者の要介護度が軽くなると、ホームの収入が減ってしまう。アンビバレントな経営である。
取材中に施設のオーナーが「介護しない介護がある」と言っていたが、その言葉に一理あると思う。
できないことでも取り組めばできるし、やらないとできることもできない。
便利なものを追求するのは生物の本能であり、先人が楽したいと思ったからこそ今がある。
しかし、その利便性に依存し慣れてしまえばあらゆる能力が退化し「できない人」が増えてしまう。
ぬるいお湯では風邪を引く。
「人生は下りのエスカレータにいるのと同じ」という言葉があるが、止まってしまえば下るだけ。
つまり、思考を停止すれば後はダメになっていくだけ。
楽したいけど楽しすぎもダメ。バランスが重要と言うことだ。