あなたは大丈夫?集団行動における2つのデメリット
訪日外国人が増えている昨今、渋谷のスクランブル交差点を見た外国人は驚きを隠せないそうだ。「なんとコントロールされた交差点なんだ」
日本体育大学の一糸乱れぬ行進を見てもわかるとおり、日本の教育は集団行動を重んじることにある。
社会に出ても少なからずコミュニティーが形成されるため、日本の集団意識という教えは悪いことではないのだろう。
ただし、グループを作るのは良い面、悪い面が存在している。これを理解せずいると思わぬ問題に発展してしまう。
今回はそんな「グループ、集団、コミュニティー」について書いてみたい。(以下、グループで統一)
結果を最大限出すには分業が必要
まず、なぜ一人ではなく複数人のグループを作るのだろうか?
それは簡単なことで、分業をすることが最も効率よく結果を出す方法だからだ。
材料を集めて、加工して、設計して、作成して、流通して、宣伝して、販売してと一人で行ってしまっては出せる結果には限界がある。
自分の得意な分野を各々が担当することによって、何倍もの結果を出せるわけである。
なので企業も営業や、管理、広報、人事、製造と部門が分かれている。
スポーツも同じこと。全員がダルビッシュの野球チームなんてのは強くはない。
ピッチャーがいて、キャッチャーがいて内野外野がいるからこそ成り立つ。
このように、グループを形成することは結果を出すうえで合理的な方法なのである。
グループ形成に重要なポイント
グループとは言っても、二種類に分類される。
- 目的があるグループ(企業やスポーツなど)
- 目的が不透明なグループ(仲間や同種族など)
二つを分けるポイントは、結果が伴う目的がグループ内に存在するかと言うこと。
- 利益を出す
- 勝負に勝つ
- 何かを守る
目的のあるグループ形成はシナジーを生み、「三人寄れば文殊の知恵」となる。
この目的がないと、途端に意味のないグループになる可能性がある。
つまり良いグループとは、組織内で同じ目的を共有されている状態のことを言う。
悪いグループ形成とは?
もう一つの「目的の不透明なグループ」が厄介だ。
- 毎日をいかに楽しく過ごすか
- 今しかできないことをしよう
- アホなことを全力でやろう
- 一緒にいると安心する
- 集団の雰囲気を維持したい
これらは目的が不透明で結果が表面化しづらい 。 中学、高校、大学といった学生の頃に該当するのではないか。
先にも述べたが、合理的なグループ形成(良いグループ)には、目的が明確であるかが重要。
目的が不透明なグループ形成は、集団におけるマイナス作用が働きやすくなるので気をつけたい。街に居る若者を見ると強くそう思う。
マイナス要素とは以下の二つ。
- 過大評価という錯覚
- 責任の分散
グループ内での過大評価と錯覚
グループに属していると、自己を過大評価してしまったり、錯覚を起こしてまう傾向にある。
- 自分は有名、人気がある
- 自分は権威がある
- 自分は力がある
- 自分はすごい、強い
- なんでもできそう
- 楽しい
- 自分達だけの空間
- イケてる
このように、錯覚を起こしてしまう 。
これは、自身の過大評価であり、あきらかに勘違いである。危険な考えにもなりえる。
人と同じ行動をとることには強い安心感があり、たとえその行動が間違いであったとしても、それは正であると錯覚しやすくなる。
グループに属していることで、いつもより気持ちが大きくなってしまうのか、個体の時ではとらない行動をとってしまう。
未成年のグループが歯止めがきかなくなり殺人を犯してしまうように。
最近よく気にかかるのが、電車内での行動や言動だ。
- 異常な内容な会話
- 必要以上に声がでかい
- 稚拙な行動(ぶら下がったり、大幅に座ったり)
これって一人の時にする?と考えた場合、大半の人はしないはず。自身もやっていたと思い返すと恥ずかしくなる。
これらの行動に明確な「目的」があるかと思いきや、楽しいなどの感覚的な要因が大半ではないか。
この、集団における「錯覚を起こしてしまう」現象は、しっかりと認識しないといけない問題であるだろう。
責任転嫁による分散
また、自身の過大評価の他にも「責任の分散」もマイナス作用である。
グループ内では、一人当たりの責任が分散する傾向にある。だから、物事を軽んじて行動してしまう。
何も学生生活のみにこの「責任の分散」が起こる訳ではない。
グループの中で、何かの物事を決断する場面があるかと思う。
決断を迫られた時や何かを選択をする時には、慎重な決断ではなく場の雰囲気を重んじたりリスキーな決断を取る恐れがある。
それは、上記の「過大評価(勘違い)」という要素も関係しているし、第一に決断という行動の裏にある責任の転嫁が作用するからである。
「失敗した時には、一人で決めたのではなく皆で決めたから」
集団での意思決定や過大評価をする面を考えると「三人寄れば文殊の知恵」ではない場合もあるので、必ずしも合理的でメリットばかりではない。
まとめ
以上のように、集団原理には良い面、悪い面がありグループ形成は合理的な分、集団であるからこそのリスクも理解しないといけない。
そして、記事を書いている今ふと思ことが一つでてきた。
社会問題と言ってもいい「イジメ」について。
昔に比べイジメの認知レベルが上がり、社会問題の一つとして捉えられている。
イジメは集団で成り立っている。二人の関係はイジメではなく対立であり、三人以上の集合体でイジメの関係が生まれる。
しかも、人が増えるにつれ大胆になるし、一人当たりの責任の分散も大きく作用する。
なぜ、年齢が低いほどイジメが起きやすいのか?
それは、和を尊重する(重んじる)教育が成されている現場に、より密接にいるからではないか?と思う。
学校で起きている、イジメという社会問題の原因は、今回書いたグループ内での集団的行動原理を教育として叩き込まれているからではないか?
「和を乱すと怒られる」これはある種排斥されているのと同じで、「和を乱す=疎まれる行動」と認知してしまっているのではないかと思う。
共同作業で何かを作成するときに、平均以下の能力で失敗を良く起こす人がいる。
この場合も、「共同作業の邪魔をする=和を乱す=悪」という空気が存在する。
残念なことに社会では、議論する・意見をぶつけ合うということを「悪」と捉える部分がある。
そんな日本の風潮がイジメを肥大化させているのかもしれない。